平和と教育を考えるツアー連絡会  
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平和の旅レポート
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辺野古支援2017 沖縄平和を考えるツアー に参加して  2017年6月18日(日)〜21日(水)

 

 この度の沖縄は、心に残る体験でした。若い時代に訪れたかつての観光とは内容が違いました。終戦の時から沖縄が抱え込んでいた、日米同盟のひずみそのものの現実を見せてもらいました。

 6月20日、私達は辺野古新基地建設反対運動を実施している会場に来ました。前後左右の人たちはそれぞれ他県の人たち。私は沖縄県以外からこうして応援に来ているのだ・・。私達もその仲間・・だ。総勢何百人ぐらい座り込んでいるのか・・。とても穏やかにでも思いは一つという雰囲気。何か仲間意識というのか目的一つの共通点で何ともいいかんじでした。

 そうこうしているうちに大きな青色の自動車が2台目の前に止まりました。と同時に若い青年達が私達の目の前に立ちふさがり無言のまま立つのです。機動隊が着る特有のブルーの制服、ブルーの帽子(1本と2本線が入っている)。今が決起旺盛の青年達40〜50名。
坐っていた私達は思わず隣の人と両腕をくんでつながろうとしました。力も入れました。
ところが隊員二人して坐っている一人の両肩を引き離し左右の肩を一人ずつ持ち上げます。すると両足を他の隊員一人が両手で持ち上げ、三人がかりで運びつれ去りました。見ていると「離せ・・」「離せ・・」と言いながら足をバタつかせ、手こずらせている男性がいます。「はなして・・」「さわるな・・」と体を左右に振りますが、隊員達の力にはかなわないようでした。私は歩いて少し離れました。当日は何人いたのか定かではありませんでしたが、それ程時間がかからないうちに全員が排除されてしまいました。
その場では若い機動隊員と向きあった状態になり、思わず私は「あなたには両親がいるでしょ・・。軍事基地を作ることに反対していませんか・・。きっと反対していると思うよ・・・。」となげかけました。隊員はどこか遠くの方を見て視線は一動だにしませんでした。
生活費をもらうのがこんな仕事で・・・。
こういう隊員達の目からはなれて、フト下の看板を見ると看板には「県民を守らず米軍に手を貸す県警機動隊は人殺し部隊だ」と書かれてありました。何故かスーッとしました。

 排除された場所の後ろに門があり、その門の間に十数人以上の男性が横一列に直立しています。何をする人たちなのか・・と思ってみているうちに南の方から大型ダンプが多量の砂利を積んで基地内に入っていきました。間もなくカラになったダンプが出て行きます。次は北の方角から来た大型ダンプが30台近く入って行きました。
1日に3回程砂利運搬車が基地内に入り地番固めをやっているという事でした。
どのドラックも沖縄ナンバーでした。こんなに多量のトラックが沖縄にあり日米軍事基地建設に一役荷なっているのだ・・デモ運転手の人たちはどんな思いで砂利運びをやっているのだろうとも思いました。

 しかし思います。これは日米安保条約とりきめが原因。それを解消すること。日本と米国の首脳会談で取り決めをやめればいいことなのです。
沖縄戦で土地も人間も心もざくざくいためつけられて以来そのままの苦悩が引きつぎ続いていました。これは沖縄県民だけの問題ではない、日本人全員が真剣に考えていくことなのだ・・・と私は考えるのです。


  

中村久子