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平和の旅レポート
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第16回韓国平和と交流の旅 (2014年4月1日〜5日)

カテゴリー: - admin @ 18時39分08秒

第16回韓国平和と交流の旅 (2014年4月1日〜5日)

 

日本軍が済州島島民に飛行場や洞窟を強制労働を強いてたくさん作らせ、

今現在も飛行機格納庫が保存されているという写真入新聞記事を見て衝撃を受け、

今回初めて平和と交流の旅に夫と共に参加させて頂きました。

 

「平和博物館(旧日本軍の巨大な地下要塞)」に何とひどい事をしてきたのか、

自然に涙が溢れ、平和の願いを書くところでは日本語で

お詫びと平和への願いを書いてきました。

アルトウル飛行場跡は広大な面積で、バスガイドさんの

「済州島には乞食もいないし大金持も居なかった」の言葉に、

つつましく生きていた島民にとって強制労働をさせられた事が、

どれほど辛かったかと思いながら聞いていました。

また添乗員の青木さんがガイドさんに

「遠慮なく思っている事を言ってください。平和のツアーですから」と

お願いしたらしく、普通の観光旅行では聞けない案内を聞くことが出来ました。

 

「海女博物館、海女抗日運動記念公園」済州の女は強い

とガイドさんから聞いていましたが、済州経済の主役どころか

自分達の働く場所を奪われることに立ち上がった海女さんの

抗日運動精神を称える記念塔に涙し、重い気持ちで

民族村に移動したら明るく迎えてくれたガイドさん。

黒ブタちゃん(本当はブタを抱っこしたかった)の説明で笑わせ、

寄せ合った家の造りは台風対策の屋久島に似ていた。

健康食品を売るのも面白おかしく、ついつられて

4,000円の買い物をしてしまいましたが、楽しかったですし毎日飲んでいます。

「4・3事件」とは耳にしたことはあっても詳しい内容は

資料を手にするまで知りませんでした。米軍に支配され被害を受け、更に

軍隊・警察に殺されるのは、兵隊と洞窟にいて子どもが泣くと

兵士が殺した沖縄と似ていると思いました。

でも韓国では広大な敷地に4・3平和公園を作り、この日は大統領も献花され、

生きざまを記憶追悼しているのはとても良いことだと思いました。

「済州抗日記念館」を見学し、同行の吉崎さんと

「謝罪すればいいのよ!男はダメだね、すぐ戦争したがる!」と話し合いました。

ソウルでは、バス移動中市民が大勢いる中で兵隊が行進しておりびっくりしました。

ガイドさんの話では兵役の義務で大学2年を終えると入隊、除隊して

残りの2年間復学をする場合が多く、しかも卒業してすぐ職につけない事もあり

「親は苦労して大学に入れても、子どもが就職出来なければ大変なんです」

という言葉を聞きやがて日本も同じことになるのか?と思いました。

「日本政府に求める7つの要求事項」 水曜デモは当然のことと思います。

日本大使館前の少女像に涙して「日本人政府が酷いことをして

人生を台無しにしてしまいごめんなさい」と頭・顔を撫でさせて頂き、

隣のイスは写真を撮るために座るのかと思ったらガイドさんが

少女の隣に座り手を握って...........耳に聞こえてきた時には

もう移動時刻で本当に心残りでした。

「西大門刑務所歴史館」ここにも父親が小学2年生くらいの

男の子を連れて見学に来ていました。

刑務所まで作り韓国を36年間も苦しめ、勝手に処刑した生々しい現場、

こっそり埋め日本が戦争に負けた時、日本軍が壊して隠したものを

発掘・再現したところを見て呼吸が苦しくなりました。何故日本政府は謝らないのだろうか。

「戦争と女性の人権博物館」ではさすがに修学旅行生はいませんでしたが、

性暴力の被害者の苦難の人生、タバコの火を何ヶ所もお尻に押しつけられ

お腹にもひどい傷跡の写真、慰安所の部屋から血を流しながら

引きずり出されている証言からの絵。

慰安所を利用する日本兵に許可する軍票にコンドームまで提示されていて、

大使館前の少女像とだぶり息をするのも苦しく涙でいっぱいになり、

日本人はこんなに残虐きわまりないことをしてきたのか、謝罪して償うべきです。

第1次安部内閣の時、旭川でカン・イルチュルさんの講演を聞いたことがあり、

写真を見つけた時つい「あの時も体調は優れなかったけれど、今は元気なんでしょうか?」と

青木さんに聞きましたら笑顔で「お元気ですよ。去年札幌でお会いしました。」と聞いて

私が講演を聞いて数年経っているのに、まだ補償しない日本政府に腹が立ち

「生きているうちに償ってあげてよ!」どっと涙が出ました。

1Fに戻りアフガニスタンの両足ひざ下切断の少女の写真を見て、

戦争は憎しみと悲しみしか残らない証明と受けとめてきました。

毎日涙しながら見学し、今回のツアー唯一の男である夫と韓国の

日本統治の歴史を共有出来たことは本当に良かったと思います。

料理も毎回美味しかった。最後に韓国ガイドさんの

「北朝鮮という言葉は使いたくない。元々一つの国だった。北韓国と思っております。」

という言葉も胸に残ります。

私は2月に2回突然失神して後頭部・右側頭部を強打して3月に左側頭部を強打し、

医者に「旅行に行くどころではない」と言われ、MRI、CTスキャン、24時間心電図をとり

痛みどめの薬を持参で参加し、添乗員さんやツアー仲間に迷惑がかからぬように

信じる神に祈りながら、メモは取れませんでしたが見学の資料を整理しました。

青木さんやツアー仲間の皆様が声をかけて買い物や

ソウルの案内をしてくださり本当に有難うございました。

 

 

旭川  上西 節子