平和と教育を考えるツアー連絡会  
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平和の旅レポート
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「「地震・津波・原発事故から5年目の福島を訪れる旅   2016年3月11日〜13日

 

 津波の痕跡がもうほとんど残っていない、仙台空港を出発したバスが、常磐道を南下し、亘理を過ぎて宮城県から福島県に入る。
 常磐道は山間を走るので、津波の痕跡は見られないが、谷筋に例のフレコンパックを見て福島を実感。窓際に置いた線量計がどんどん跳ね上がり、4μシーベルトを超える。
 初めての3.11を実感。初めての福島ツアーは線量計の表示で幕開けでした。
 Jヴィレッヂから宝鏡寺へ移動し赤錆びた線路以外何も残されていない富岡駅を見て、初めて津波の恐ろしさを実感。この日、あの日の津波の姿を凍結したような富岡の街と、そこに住んでいた人たちの悔しさを強く感じました。
 今まで反原発運動に携わってきたのですが、どちらかというと福島原発の現状と危険性に注意が向いていて、そこに住んでいた人たちの思いに、悔しさに、思い至らなかった自分を気付かされました。

 2日目、バスは双葉町を通り抜け、浪江町、南相馬市小高区を巡ります。線量を避けるためでしょう、駆け足です。線量計の数値も跳ね上がります。
 誰もいない街、フレコンパックの積み上がる庭先。山とパックの積み上げられた集積場。そしてパソコンも放送機材も泥にまみれて放置された小学校。がらんとした教室の跡に、子ども達の声はありません。聞こえるのは線量計の音だけでした。5年の月日を放射線が止めてしまった学校。あ らためて原発事故のような巨大広域災害の実態を見ることができました。
 政府が言う除染も、すべての除染後の道に残されたブラッシング跡を見るにつけ、これで本当に良いのか?ただゼネコンに仕事を与えるだけで、住民に安心感を与えられるのか?との疑問が離れませんでした。確かに、現地の放射線の中に残された人に仕事を確保し、しばらくでも生きる糧 を与えたことは分かりますが、それがいつまでも続くわけはなく、残されるのは不安だけ、その思いが離れませんでした。

 この日の斎藤先生の講演が圧巻でした。放射線量から考えて、甲状腺がんと被曝との因果関係はまだ分からないとのお話です。
 この問題について、僕も前から気にしており、私たちの会(いらない原発!登別の会、月刊新聞)でも5度ほど取り上げました。
 最初は13年11月号で、郡山市で開かれた専門家意見交換会で福島県立医科大の医師が言った言動・「放射線の影響は、実はニコニコ笑ってる人には来ません」について、"福島大学医学部と県の信頼失墜が福島の甲状腺腫瘍対策に致命的な結果に繋がらない事を強く望みます"と書きました。
 次は、14年3月号で、福島県立医大医師の、「チェルノブイリの知見からすると、最短で4〜5年で(症状が)出るはずだから早すぎる」「超音波機器は小さな結節なども見つかるから、子供でも早期に発見された」の主張が自己矛盾だと指摘しました。機器が改良されればより早く発見でき、その 分発病時期が早くなるはずです。
 3度目は、14年8月号で、県立医大から報告された発病数についてで、県は浜通りと中通りに差が無いから、事故の影響は無いとしたことについて、浜通りも汚染されたのではないかと指摘しました。
 4度目は、15年3月号で、2巡目で見つかったがんは、これからの急増の走りではないかと心配だと指摘し、次の4月号で「現状は黒とも白とも言えない微妙な段階」と指摘し、相馬中央病院越智医師の「因果関係の有無については、(中略)住民の不安は置き去りにされたままです。私たち医師に求められているのは、分かるための努力を続け、分からない中でも人々が健康になる方法を考えること。すべての研究や調査、情報は、誰かの主張を通すためではなく、住民の健康を守るために用いてほしいと願っています」の言葉を紹介しました。
 お聞きしたお話は、まさにこれを確認させる内容でした。改めて自分の書いた文章を読み直し、安心しました。

 最後に
 「これは風評じゃない。現実なんだ。風評は根も葉もないことを言うでしょ。これは根も葉もあんだから」樽川和也さん
 "やがて、時がてあつい治療をしてくれる日まで待つのです"(「タイタス・アンドロニカス」パブリアス=シェイクスピア)
 "耐えねばならぬ。生まれ落ちた時、わしらは泣いた。この世の空気を初めて嗅いで、泣きわめいたではないか"(リア王=シェイクスピア)

 でも私たちは放射線が100分の1になる数百年は待てない。


  

宮尾正大