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平和の旅レポート
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劉連仁生誕100年記念当別ツアー  2013年9月16日

カテゴリー: - admin @ 18時58分04秒

 知ること、そして伝えること

それは、聞いたこと、触れたものを極めてシンプルに書き留めておきたいと、私に感じさせるツアーだった。

2年程前、私がこのツアーの存在を知ったとき、劉連仁氏の行動について、ほとんど知識を持っていなかった。

しかし、戦時中の強制連行というキーワードに惹かれた。

ツアーを通して興味深かったことは、大きく2点。

 一つ目は、往路のバスの中での鴫谷先生のお話。

それは約14年間にわたる逃亡生活を、発見当時の記録を元に語られたものであった。

劉氏がたった一人生き延びたという事実を、一般的な日本人が持つ

「苦渋に耐えた精神論」で
覆い尽くされたものではなく、

劉氏がいかに突出した生活力の持ち主であったかという視点からのお話だった。

寒い北海道で生き延びるために衣食住に必要な物資の数々を

生活感覚から整えていった事実。

これは先生自身言われていたように、めったにお聞きすることのできない内容、

このツアーに集った人たちに対する相当の信頼感を

お持ちくださっての内容なのだろうと受け止めた。

私はこれらの事実への驚きと、その背後におられるともに

逃亡して命を落とした3人の人たち、さらに非人間的な

労働条件の中で命を奪われた名前を知らないたくさんの人たちのことを思った。

 2つ目の碑の前で伺った「伝える会」の三上先生のお話は、

碑の設計のコンセプトについても詳細に述べられ、私の想像力を

膨らませてくれるものだった。

そして、降り続く雨の中で触れた生還碑は、私が想像したものより

はるかに背丈が低く、ごつごつしていてどっしりとしたものだった。

あえて磨きこまれなかったという御影石と、掘り込まれた穴の中におかれた

丸みを帯びた石との対象が強く印象に残った。

傘をさして話を聞いているこの集団は、通り過ぎる車からは

どのように見えただろう。「伝えなければならない事実がここにありますよ」と

静かに、いや大きな声で叫びたい気持ちになった。

 交流会場でお聞きしたお話、劉氏の発見当時の状況やその後の交流、

そして生還碑建立にいたる町内会での募金のお話など、

まさにこの場所でしかお聞きすることができないものだ。

もちろん劉氏の発見に直接関わった人はすでにおられないが、

その後直接交流された方たちのお話だ。

ここで1995年日本政府に対し強制連行の訴訟、という新聞記事のことが

私の頭の中で、みごとにリンクした。

あまりにも許しがたいこの国の歴史に関わる一人の生き様を、

これからもこの地で新たな世代に継承してくださることを願わずにいられない。

見学に訪れたある14歳の少女が、自分が生まれてから今まで生きてきた年月と、

劉氏の逃亡生活の年月を重ね合わせたと感想文に書いたという。

こういう感性、想像力をもつ子どもたちを育てなければならない、

それが私たち大人の責任なのではないか。

1日のツアーを通して、いろいろな場所で親切に声をかけてくださった皆さん、ありがとうございました。

 

 

視覚障害者9条の会  吉田重子