平和と教育を考えるツアー連絡会  
これまでの企画


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平和の旅レポート
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「被災から4年 福島ツアー   2015年7月11日〜12日

 

私は今回のツアーで初めて、震災後の福島に行きました。
報道等を通して、何となくわかったつもりになっていましたが、
現地でないと分からない多くの矛盾に満ちた福島の現状を肌で感じる旅となりました。

農民連の方との交流では、栽培法の研究を重ねて、国の基準値1kg100ベクレルの半分、
50ベクレル未満を出荷基準としており、昨年基準を超えたのは1戸の栽培法の指導が行き届かなかった農家だけで、
研究と取り組みの成果だと報告されました。
すごいと思うのと同時に、1kg50ベクレル以下とはいっても本当に大丈夫だろうかと、
不安に思う自分もいました。真実を知らせない国への不信感からくるものと思います。

仮設住宅で交流した住民は、「帰還制限が解除になったら家を建てて住む、墓守だから」と話していました。
まだまだ線量が高く、除染といっても住宅の周りだけ、風が吹けば手つかずの森林から放射性物質が飛散するかもしれない中、
一体どれだけの人が村に帰るのか、わずかな人が帰ったところで地域としての機能は、除雪や買い物、
ライフラインは、村の継承は、など様々な疑問が残りました。

福島の浜通りを縦断する国道6号線は今年の春から開通、復興のシンボルとしたいようですが、
南相馬から南は二輪車通行止め、横道に入っても、駐停車してもいけない、
横道に入る道路は鉄製のフェンスで封鎖されている、これで本当に復興したと喜べるのでしょうか。
あちこちに警備で立っている人が普通の服にマスクだけで、彼らの健康が心配です。

浪江町には放射性廃棄物の中間貯蔵施設が建設され、フレコンバッグが整然と高く積まれていました。
仮設焼却施設という看板と、壁には大きく環境省と並び大企業の名前がありました。福島に住民を戻すために、
最終処分場は福島県に作ってはいけない、そのための「仮設」という看板です。ここにも国の責任逃れの姿勢と、
原発事故でも大企業がもうかる仕組みが表れています。

生業訴訟団の団長と交流しました。大きな船団を持つ親方は、莫大な補償金を東電から受け取り沈黙する、
小さな漁船への補償はごくわずか、赤字でも漁業を支えてきた仲買などには、一切保証がない、
それは震災前の売り上げを基準にしているからです。週に一度しかない試験操業でも、
「この仕事が好きだから」とがんばって漁に出る若い漁師に希望を感じつつも、
地域を分断させ、口を封じるやり方には憤りを禁じえませんでした。

国と東電は、被害回復のための補償はしても、事故の責任を認めて謝罪するということは一切しません。
一日も早く福島の帰還制限を解除して、住民をもとの地域に戻し、賠償も打ち切りたい、福島を復興させて事故を収束させたい、
その先には、原発再稼働、輸出への道があります。
住民の間に様々な分断が持ち込まれたとしても「原発事故さえなければ、
こんなことにはならなかった」という点で一致できるのではないでしょうか。
「福島は原発事故で大変な被害を受けた。故郷を追われ、生業を失い、大変な苦しみを背負わされた。
この苦しみを、二度と繰り返してはならない。だからこそ、この事を一人でも多くの人に伝えたい」ガイドの方は、
この思いでガイドの仕事をしているそうです。
原発事故の悲劇を二度と繰り返さないためにも、一人でも多くの方に福島の現状を見ていただきたいです。
次回のツアーが実現した時には、一人でも多くの方に参加していただきたいし、私も再び参加させていただきたいと思います。
福島の現状を知った今、原発ゼロに向けて、これからより一層力を入れて取り組んでいきたい、
今回学んだことをこれからの取り組みに生かしていきたいと思います。


 

 

札幌  佐野弘美