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平和の旅レポート
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中国歴史と文化の旅−旅で元気になる

カテゴリー: - admin @ 11時42分35秒


                                 

 疲れる毎日です。政治は、私たちのほうをさっぱり向いてはくれません。総理大臣が法人税5%引き下げると指示したというニュースにぎょえっ〜「これ以上借金増やしてどうするの」「企業に税金おまけして、庶民からとるんかい。もう勘弁してほしい」これが職場の同僚の声です。仕事は一生懸命やっています。でも、どんなに頑張っても賃金は上がるどころか下がる一方で、やる気モードに赤信号が点滅中。スーパーで1円でも安く買う節約に日常のささやかな喜びを見出しているようじゃだめだ。スイッチをOFFにしなければ。擦り減っていくばかりの自分に何かご褒美を与えなければ、もう働き続けることができない。そんな思いで、旅システム催行の「中国歴史と文化の旅」(上海、南京、周荘5日間)に申し込みをしました。行程も時間管理も食事もすべて旅行社お任せなので、ガイドブック等で下調べも一切することなく、気軽に参加しました。

 毎日の昼晩は円卓を囲んでの中華料理のフルコース。薄味の広東料理。うっかり食べた唐辛子で口の中が火事になってしまった四川料理。スッポンまで食した豪華ディナーだった上海料理。甘酢でからめたスズキや野菜と肉の炒め料理の数々など、どれもおいしく、たっぷりグルメを楽しんだ幸せな時間でした。

 上海で宿泊したホテルは四つ星でしたが、50年以上生きてきた自分の人生の中でも最高クラスのお部屋でした。日本から持参した入浴剤を浴槽に溶かしこみ、頭にタオルを置いて、足を伸ばしきり寝湯でうとうと。すべての時間を忘れる気持ちのよいひとときでした。部屋が2つあり、ひとつはリビングで、もうひとつが寝室。両方の部屋にテレビがありました。大きなゆったりとしたソファに腰掛け、冷蔵庫のビールとミニバーを楽しみました。

 足ツボマッサージは、「効くうっ〜」って感じです。ホテル宿泊者は、なんと58元。(1元は13,5円)漢方湯に足をつけたあと、オイルをつけてやさしくリズミカルにもぎほぐしてくれます。至福の時間でした。外を歩いてすっかり冷え切った身体が血流を取り戻していくのが自覚でき、肩は軽くなるし、次の日までポカポカでした。

 貧乏に慣らされてしまった私たちは「なんて贅沢な!」などと思いますが、日本国憲法25条は「すべて国民は、健康で文化的な〜生活を営む権利を有する」と保障しているのです。すべての労働者が年次有給休暇がきちんと取得できて、年2回くらいゆっくり、気心の知れた家族や友人たちと気軽に旅行できる。労働と休息の権利が保障される。それはヨーロッパでは当たり前の社会です。

 NHK衛生放送では、クリスマスイブの夜にふさわしく、平原綾香さんが♪どうしても叶えたい願いがあるの 私じゃなく必要な人に 戦争が起きないように 引き裂かれないように 時よ癒して 友達がいて 正義が勝つこと 愛は終わらない これが私のChristmas list ♪と熱唱していました。そして番組のラストでは、平原さんと韓国の男性歌手Kさんがデュエットしました。ジョンレノンの「Happy Xmas(War is over)」♪War is over if you want it  war is over now♪の繰り返し。Kさんは、2011年1月1日から歌手活動を休止し、2年間の兵役につくのです。一体どんな気持ちで演奏していたのでしょうか?そう思うと胸が詰まりました。前日南京市で見学した「侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館」のことがオーバーラップしていきました。


 8月15日、私たちはこの日を「終戦」の日として記憶しています。ですが、この日は1937年日本海軍が、南京を始めて空爆した日としても記憶されねばならないのです。長崎の大村基地を発進した木更津航空部隊の九六式陸上攻撃機(山本五十六が海軍航空本部技術長、航空本部長の時に構想、開発させた陸上基地発進の長距離爆撃機。航続距離4380キロ。デビューした1936年が皇紀2596年だったので、下二桁をとって九六式と称した)二十機が、東シナ海を洋上横断して、南京に向かい、中国軍戦闘機と交戦しつつ、各機12発ずつ抱いていた60キロ陸用爆弾を投下したのでした。海軍航空部隊の南京空襲は、12月13日の南京陥落まで、最初の渡洋爆撃から数えて50余回におよび、参加飛行機は述べ900余機、投下爆弾は160余トン、南京市民にとっては、2日半に1回の空襲という激しい頻度でした。

 中国との全面戦争は長崎から始まり、日本海軍が行った世界の戦史上初めての大規模な無差別都市爆撃、非戦闘員の殺害は、長崎の原爆という最悪の空爆で終わったのでした。
 イラク戦争やアフガン戦争で見られた空爆の原点は日本だった。このことの歴史的意味を私たちは考える必要があるのです。(「海軍が拡大させた日中戦争 空爆戦争の淵源」笠原十九司の論稿を参考、引用しました。 『世界』2007年8月号所収)

2010年12月30日
札幌市 山本 政俊