平和と教育を考えるツアー連絡会  
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平和の旅レポート
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沖縄平和を考えるツアー2017に参加して  2017年1月8日(日)〜12日(木)

 

 私は、今回初めて沖縄を訪れました。限られた時間に、できるだけ多くの現実を知ることができるように心を砕いてくださったこのツアーに感謝します。
 この旅を振り返ると、国民をないがしろにする権力への怒り、先の戦争の責任をとることも反省もない政府の情けなさ、多くの人の無関心、ちっぽけな自分を思い、はがゆくて涙がでます。
 まず思い出されるのは、伊江島のヌチドゥタカラの家で、魂の底から私達に語って下さった謝花悦子さんのことです。
 伊江島は激戦地で、戦後は島の67%(現在は35%)が米軍基地となり、自らの土地に入ることも作物を収穫することも許されず、畑にガソリンをまいて焼かれ、家をブルドーザーで壊されて奪われ、米軍からの暴力や、訓練中の被弾、爆発事故による多数の死傷者など、想像を絶する歴史を知りました。
 そんな中で、戦中、デンマーク式農民学校を作ろうとするも爆撃で全てを失い、一人息子も失い、戦後は、奪われた土地を取り戻す闘いを、道理で、非暴力で行ったのが阿波根昌鴻さんでした。
 私は、こんなひどい仕打ちを受けてもなお、米側とも誰とでも、一人の人間として対等に、冷静に、愛をもって向き合った阿波根さんに感銘を受けました。阿波根さんの魂は、確かに私達の学びと共におられた、今も私と共におられると信じています。
 阿波根さんの、「学習は最大の武器」「戦争の最大の友、平和の最大の敵は無関心」「基地を持つ国は基地で亡ぶ」などの言葉に励まされ、背中を押されるのを感じました。
 謝花さんは、アベ政権への怒りが抑えようにも抑えられないことが伝わってきました。今の現状を変えることが国民の責任、権力の嘘にだまされたということは学習していない結果だ、新聞等に載っていないから知らなかったと言わずに真実を知る努力をしてほしい、と心から訴えられました。私は、学ぶことと伝えることをしなくてはと強く思いました。
 普天間基地と嘉手納基地に行った時は、ヘリやオスプレイを見て、その音と威圧感に嫌悪感を覚えました。これが沖縄の日常なのだと心が痛みました。
 高江と辺野古に行った時は、こんなに美しい森や海に基地を作り、人殺しの訓練をするなんてと許せない気持ちになりました。
 高江でお会いした伊佐育子さんは、今高江には憲法がなくて、権力がやりたい放題だ、次は皆さんの所がそうなりますよと仰いました。権力の言う、積極的平和主義とか、国を守るなどのきれいな言葉に騙されてはいけない、とも。
 辺野古では、政府は工事再開と言うが、実際にはボーリング調査のみで、工事は未着工であり、国民を諦めさせようとする政府の嘘であることを聞きました。政府より1日だけ諦めなければ止められる、と仰り、沖縄に不屈の精神が根付いていることを感じました。
 キャンプシュワブ前では、警備員や機動隊が、反対運動に加わった私達の方を向いていて、日本国民ではなく米軍基地を守り、時に私達を無理やり押しやって、米兵の車をゲートから出しました。機動隊に囲まれた時は、とても怖かったです。そして、彼らは本当はどう思っているのだろうかと思い、同じ日本人同士を対立させている日本政府に対して怒りがこみ上げました。私達が北海道で普通に生活している今も、沖縄では日米政府と闘っていると思うと、すぐにでも沖縄に飛んでいきたい気持ちです。
 最終日の県議の比嘉瑞己さんの、政治の解説付きの沖縄のお話は、とても分かりやすく、今回見てきたことが頭の中で整理され理解できました。日本政府からひどい扱いを受けてきた沖縄の方々がなぜ日本復帰を望んだかというと、憲法のもとに帰りたかったからだということを聞いて、改めて憲法をアベ政権に変えさせない努力をしようと思いました。
 とても全ては書ききれませんが、ガイドをして下さった沖縄平和委員会の横田さん、伊江村議員の名嘉さん、バスのドライバーさん、私達にお話し下さった大城元那覇市議さんはじめ沖縄の方々、旅システムの青木さん、ツアー参加者の皆様、大変お世話になりました。ありがとうございました。
 私はまた沖縄に行くであろうことを確信しています。がんばってお金貯めます!


  

塩崎理恵