平和と教育を考えるツアー連絡会  
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平和の旅レポート
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韓国平和と交流 2012年

カテゴリー: - admin @ 15時12分39秒

2012年8月7日〜12日

 この旅の参加に当たり、最初の動機は亡き父のことでした。
 父(平成4年7月没)は朝鮮人で、私は日本人の母との間、5女として生まれました。そうした生育環境で、長い間自分はなぜ日本人ではないのかと自分の生育に悩み続けていました。母が亡くなり、父が亡くなり、私自身、子育て・教育、仕事に没頭する中、自分の境遇や父に対する思いも薄らいでいきました。
 ある日、職場で思考能力停止に陥りドロップアウト。その低迷期間、前後に韓流ドラマがテレビに登場し、特に史実に基づいたドラマ「チャングム」「イサン」を見て朝鮮・韓国に興味が深まりました。私には半分朝鮮人の血が流れているのだから朝鮮半島を知らなきゃ!日本より長い歴史やすばらしい伝統・文化を持つ朝鮮・韓国がなぜ日本の植民地になってしまったのか?なぜ父は日本に渡って来たのかの疑問がだんだん膨らんできました。
 そして、父のルーツをたどることはできないものかと、かすかな情報や姉から得た情報、実家があった町の役場に本籍を問い合わせもしてみたが何の手がかりもありませんでした。それをひもとくと長い時間と費用も膨大にかかると知り、とりあえず今回は父が生まれて14歳までいた生地、韓国の風土・風景などに触れられたらと、記憶と体力が充実しているうちにと思い、旅システムさんの平和と交流の旅に参加した次第です。前置きが長すぎましたか?

 日本が朝鮮半島と交易を始めたのは、古くから戦国時代を経て明治政府は、もともと占領を目的に日本の資産家が船でいきできる釜山を足がかりに物流を交わし朝鮮は外貨を稼ぎ、その中での繁栄もあったが、日本がだんだん富みを得るに従って、朝鮮半島の国民や土地を収奪・略奪し、1910年から1945年の35年間植民地に。
 そして、その植民地に反対して、1919年3月1日独立万歳運動が朝鮮半島全域で蜂起していきます。その運動を鎮圧するために、日本帝国が朝鮮全国各地で殺戮し、太平洋戦争時期はありとあらゆる蛮行を重ねた爪痕が、私の目に焼き付きました。中国人や朝鮮人の強制連行、日ロ戦争、日中戦争の戦場がつねに朝鮮半島で、その都度歴史的な建造物が焼き尽くされた事は、全く私のいままでの学習の中では知り得ない事実でした。

 また、いま問題視されている日本軍「慰安婦」問題。戦前、日本帝国軍が女性や少女を拉致し、日本兵の戦意高揚や戦場各地でレイプ事件を起こさせないための手段として「慰安所」を作った。歴史記念館やナヌムの家には、政府が関与している公文書が保管されていました。「ナヌムの家」に住むハルモニたちは、高齢で残された時間の限りある中で、「人間の尊厳と、人権回復」を日本政府に謝罪と賠償を求めて、いまも闘っています。ハルモニに面会して、私は、あまりの理不尽さに言葉をかけることにためらい、どうしていいのかわかりませんでした。

 旅の間、オリンピックが開催中で、折しもサッカーは準決勝日韓戦、韓国では、特に日本との戦いは国民あげて注目の戦いでした。ガイドさんも「韓国が負けたら、明日のガイドはお休み」というほどです。次の日ガイドさんはにこにこ顔でバスに、日本が負けたのでした。スポーツ界での勝敗でも、長い間の植民地の恨み、つらみがいまも色濃い韓国、日本には負けられないと国民の総意と、日本では感じられない様子が敏感に肌に感じることができましたが悲しいことです。
 また、韓国の李大統領が「竹島(韓国名独島)」を訪問のニュースが飛びこんできました。これは大変なことになるなと思いましたが、日本ではマスコミも含め、ナショナルリズムを煽ってヒートアップしているように見えます。
 この旅は、何か歴史的に大きな節目にあたるかのように、何十年か過ぎさって、「あの時、我々は韓国に居た」と話ができるほど鮮明に残る1ページでした。
 朝鮮半島は朝鮮王朝時代、中国からの文化の交流から儒教・キリスト教などの信者
も多く、朝鮮文化を確立、農耕をはじめ、漢方・薬膳など豊かな食文化を滞在中に楽しむことができました。朝・昼・夜、三度の食事に必ずだされるキムチ、辛いのもあればそうでないもの、夕食のたびに晩酌は焼酎を飲み、チヂミ、海鮮チゲ、宮廷料理、本場ならではの焼き肉カルビー、冷麺、おやつのまんじゅうなどなど短い期間に堪能できました。当分辛いものはいいかなと思っていましたが、あの辛さが懐かしいです。

 近くて遠い国、韓国・北朝鮮。日本帝国が朝鮮半島にした悪行・蛮行が私の体全体を重くして、感慨深く、戦前の謝罪をきっちりしてアジアに平和をもたらしてほしいと切に願い帰国の途に着きました。
 千歳から出国して、ソウル仁川空港から釜山、慶州、天安、水原、ソウルと全行程5泊6日の日程で、とても有意義で暑い・熱い旅でした。同行した方々、特に函館の後藤先生の毎日出されたニュースが記録に残り、感謝・感謝です。旅行を計画してくださった旅システム様、青木さんお世話になりました。最後に、もう少しショッピング時間と自由時間が欲しかったです。ありがとうございました。

新婦人会員 三國京子