平和と教育を考えるツアー連絡会  
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平和の旅レポート
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「7年目の福島の旅」に参加して 2018年3月9日(金)〜11日(日)

 

 私の事務所の「9条の会」は、福島の被災者を励まそうと、旅システムと一緒に、毎年3月11日、現地を訪ねる企画に取り組んできた。7回目の今年も、3月9日から11日まで被災地を訪ねた。途中、南相馬市小高区にある憲法学者鈴木安蔵の生家を訪ね、移動の合間にちょっぴり平和憲法を学んだ。
 被災地は、津波の残骸は片づけられ、帰還困難地域の標識も少なくなり、一見復旧が進んでいるかのようであるが、無人の広大な空き地、フレコンパックの仮置場を覆う巨大な緑のシートは、被災地の再生はまだまだであることを実感させる。モニタリングポストの数値は、持参した線量計の半分以下で、モニタリングポストはあらかじめ半分以下にセットされているという話も説得力を増す。2011年の原発事故は、故郷と地域に根差した文化や産業を根こそぎ奪った。7年経った今もその爪痕は残されたままである。
 帰還困難地域を解除された飯館村にも行ってきた。帰還者は537名(3月1日現在)で、事故前の1割にも満たない。飯館村のこども園・学校への就学希望者は、震災がなかった場合の就学予定者は640名のところ、平成30年度就学希望者はわずか97名、7分の1程度である(教育委員会資料)。一日も早い、までいの村飯館の再生を望む。
 住民の「心の復興」は手つかずといっても過言ではない。被爆の健康被害でいえば、もともと無用な被曝だ、今のような事態にさらされるのは煩わしい、腹立たしいという心情を背景に、「何もなかった」という決着を望む一方で、「何もなかったで済まされるのは納得がいかない」という気持ちが錯綜する。被災者というだけで差別されたり、錯綜する気持ちで住民同士が反目しあったり、そして分断されたりしている状況が、年々深刻になっている気がする。その解決にも新たな苦悶が伴う。
 今も放射線に汚染された水は増え続け、生活基盤や故郷を奪われた被災者が日本中に散らばっている現状は少しも変わっていない。
 これが被災の実態、被災地の現状である。
 そこで想起されるのが、2013年9月の国際オリンピック委員会総会での安倍首相の最終プレゼンである。「アンダーコントロール」という言葉で、「(福島第一原発の)状況はコントロールされています。」と高揚した声で叫ぶ(動画を見て独裁者ヒットラーの演説と重なる)。
 しかし、被災地の現状、甲状腺異常の問題に苦しむ子どもたち、国の不十分な情報伝達のため、放射線量の高い地域に避難し被爆した人たち、高い放射線量の中、過酷な現場で汗を流す作業員のことを考えるなら、オリンピック誘致のための訴えだとしても、あまりにもフェイクであり、被災者の心情を逆なでする言葉である。
 人為的な原発事故の罪深さを、改めて考えさせられた3日間であった。

(注)「までいの村」とは、「までいに(ていねいに・心を込めて)村づくりをしてきた」という意味


  

弁護士 崎 暢(たかさき法律事務所)